病気になって失ったもの、気づいたもの、私を支えてくれるもの

プロフィール

福原 斉さん(現在64歳)

  • 1990年頃 本態性高血圧症(30歳代)
  • 2013年  急性大動脈解離(54歳)
  • 2014年  脳梗塞(55歳)
  • 2015年  心臓弁膜症(大動脈弁閉鎖不全症)(55歳)
  • 2017年  冠動脈狭窄症(58歳)

 生まれてからずっと大きな怪我や病気を患ったことが無く、病院とは縁のない生活を送っていました。22歳で就職した後も、食事、飲酒、水泳やサイクリングを楽しんでいました。30歳代になり健康診断にて高血圧症と分かり、降圧剤を飲むようになりましたが、生活習慣は何も変えない状態を20年以上続けました。その間に仕事の量も質も変化があり、出張も多くなる中、子どもが生まれたりして、仕事と家庭のバランスを取るのがだんだん難しくなってきました。

 2013年(当時54歳)職場で休憩時間にアイスクリームを食べていたところ、胸と背中に経験したことのない激しい痛みを感じました。収まることもないので、同僚に救急車を呼んでもらい、搬送された病院で大動脈解離(スタンフォードA型)と診断され、当日に人工血管に置換する手術を受けました。従弟を同じ大動脈解離で亡くしていましたので、その経験・知識から躊躇なく救急車を呼んでもらう判断に至りました。

2013年8月
初めての手術(急性大動脈解離)を終えてICU(集中治療室)にて

 入院中に心臓リハビリテーションを受けましたので、ある程度体力と気力の回復には自信がありました。しかし、退院直後は自宅付近の数十メートルの散歩も出来なく、こんなはずじゃなかったと涙する日もありましたが、徐々に体力も戻り、職場復帰を果たしました。仕事内容については会社から配慮していただき、新しい仕事に就きました。

2013年8月
退院し、自宅近くの公園にて歩行運動

 2014年(55歳)自宅の脱衣場で脱力からへたり込み、言葉を失った状態を家族が気付き救急搬送されました。脳梗塞と診断され、未治療の解離部分が原因で起こったとの説明を受けました。未治療の解離部分に対する治療を検討していた時に、心臓弁膜症であることが判明し、人工弁に置換する手術と共に解離に対しては人工血管への置換手術を再度受けることになりました。この手術を前に、退職を決意しました。やり残した仕事があるとの思い、会社への愛着や同僚と離れることのつらさが混じり簡単な結論ではありませんでしたが、家族とも相談し、まずは健康を取り戻すことを優先しました。

 その後も定期的に検査を受け、これまでに5度の手術(3度の開胸手術と2度のカテーテル治療)を経験しました。その中には、冠動脈狭窄症からの冠動脈バイパス手術も含まれています。手術をしたことから、冷え性、味覚障害、誤嚥、嗄声(かすれ声)等を経験し、いくつかは今でも症状が残っていますが、ほぼ普通の生活に戻っています。脳梗塞から大きな障害は起きませんでしたが、言葉が出にくいなどの軽度の後遺症がいまでも残っています。

 治療については、自身の希望を医療者に伝え、共に作ることが大事だと実感しています。患者は受け身になりがちですが、共に作った治療計画であれば、納得も出来ますし、治療後のフォローアップにも積極的になれました。現在でも毎日の服薬、血圧・体重測定と病院での定期的な検査を継続していますが、再発・再手術への不安は残っています。

 私には家族がいます。ひとりでは長きにわたる治療や生活習慣の変更には耐えることが出来なかったと思います。いつもそばにいてくれた家族の支えに感謝しています。調味料はすべて減塩タイプに置き換え、出汁や酢を利用した減塩の食事を家族全員で楽しめるようになりました。またストレスの少ない生活、十分な睡眠、適度な運動の継続も家族からの支えがあればこそです。

2016年10月
長野県白馬村にて。軽登山が出来るほど回復しました。

 入院中には同じ病気を持つひととの会話やつながりもありましたが、退院すると病気のことを気軽に話せる人は近くにはいませんでした。在職中の知識・経験を生かすことは出来ないかと思いから、おなじ病気を持つ仲間と共に心臓弁膜症ネットワークという名前で患者支援活動を2019年から始めました。心臓弁膜症をもつ人の今とこれからをよりよいものにすることをミッションに掲げ、疾患に関する勉強会、当事者・支援者との交流会、患者体験談の公開、疾患に関する情報発信、市民向けの講演、政策提言などの活動を行っています。心臓弁膜症の患者は毎年増えていますが、未診断の市民も多い病気でもあります。高齢者や先天性の心臓病だけでなく、私のように高齢になる前に発病する人もいます。まずは聴診器による診断を受けて、あなたの心臓の声を定期的に聴いてくださいというメッセージを発信中です。

 2017年から東京・町田にて里山環境の保全・維持活動にも参加しています。都市開発から免れた谷戸と呼ばれる土地で、伝統農法を使ってお米・野菜・果樹の栽培、雑木林や竹林の手入れを数十名の仲間と共に楽しんでいます。環境が改善されたことから多くの植物や動物をみることが出来る場所に通えることはなによりの楽しみになっています。

 病気になったことで失ったものもありますが、新たなつながりを通じて今の自分に出来ることに取り組む毎日です。私のこの体験記をご覧になってくださっている方の病気や状態は私とは異なっていると思いますが、何かの気付き、気持ちのよりどころになればと思い、この執筆を引き受けました。最後までお付き合い下さりありがとうございました。

2023年6月
里山再生・維持活動の一環として田植え