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◆1.国民健康保険制度の創設

制度創設の背景

 我が国の医療保険は世界に誇る制度ですが、国民皆保険達成までには、関係団体等の大変な努力がありました。
 国民健康保険制度は昭和13年に創設されました。それまで、健康保険法は制定されていましたが、その対象は一部の工場等の労働者に限られ、農民や自営業者等を対象とはしていませんでした。
 昭和初期の世界恐慌による生糸や繭の価格の暴落や冷害等による大凶作、さらに、不況により百数十万ともいわれた工場労働者など都市の失業者が大量に帰農したことにより、農村は困窮していました。
 このような中、農家における病気と重い医療費負担が重大な社会問題となっていましたが、さらに、農村や漁村の多くが無医村であったことや劣悪な健康状態なども加わり、何らかの解決を図らなければならない状態に陥っていました。
 このような農村等の窮状に対応するため、国民健康保険制度は創設されました。

国民健康保険制度の普及

 当時の国民健康保険の保険者は「国民健康保険組合」とされ、組合の設立や組合員の加入は原則として任意とされていました。
 国民健康保険法の施行に当たり、政府は昭和22年までの10年間に6,140組合、2千5百万人を被保険者とする10年計画を立て、政府や関係者等により熱心に制度の普及活動が行われました。その結果、計画よりはるかに早く制度が普及していき、昭和16年には計画の1.7倍である2,013組合が、被保険者数は1.2倍の672万人にまで増加しました。
 また、戦争の長期化により、当時の最も重要な国策としての人口の増加と「健兵健民方策」が強く要請された情勢を反映して、医療の普及と国民生活の安定が緊要な課題となりました。そのため、全国民に国民健康保険制度を普及することが必要となり、昭和17年に、それまで任意設立とされていた国民健康保険組合について地方長官が強制設立を命ずることができることとすることや、強制設立の組合に対しては組合員としての資格がある者の加入を強制するなど、国民健康保険の普及、拡充を目的に、国民健康保険法の改正が行われました。 
 この改正により、昭和18年には組合数は1万を超え、被保険者数も3,729万人まで増加するなど、国民健康保険制度の普及が急速に進みました。

戦争による停滞

 しかし、その後戦争の拡大に伴い、昭和19年には内地も空襲の脅威を受けるような状況の下などでは、都市部の国民健康保険制度の普及はなかなか進みませんでした。一方で、農村などの青壮年のほとんどが戦場に駆り出され、極端な人手不足となるなど、多くの国民健康保険組合で、事業運営を積極的に行うことが困難となっていきました。
 終戦後は、未曾有の食料難やインフレによって国民生活は極度の困窮に陥り、国民健康保険制度の運営も、人手や医薬品の不足・価格の急騰により医療の実施さえ困難を極めるようになりました。保険料の徴収も難しく、多くの国民健康保険組合が不振に陥り、運営休止が続出する状況となりました。
 昭和13年7月に国民健康保険法が施行されてから10年が経過し、国民健康保険組合は、全町村の98%、六大都市を除き市部では63%まで普及しましたが、戦後の社会的混乱などによって、国民健康保険組合の過半数が、不振あるいは休止する事態に追い込まれていきました。

公営国保の創設

 このような問題解決のため、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の勧奨などを受け、まず、昭和23年に国民健康保険事業の公共的性格を明らかにする国民健康保険法の抜本的な改正が行われました。その中で、国民健康保険は市町村(特別区を含む)が行うことが原則とされ、市町村が行わない場合には、国民健康保険組合または営利を目的としない社団法人による運営を認めることとされました。また、加入は強制加入とされました。
 国民健康保険事業を市町村公営事業に位置付けることに関連して、国民健康保険の財政危機の打開策として、昭和26年には国民健康保険料を国民健康保険税としても徴収できるよう、地方税法が改正されました。保険料と保険税のどちらで徴収するかは、各市町村が条例で定めることとされています。このように、国民健康保険制度では、全く同じ目的のために、二種類の徴収金があるといった、他の制度にあまり例を見ない形が取られています。
 こうして、都道府県や市町村長等の督励や関係者の努力により、徐々に市町村による国民健康保険事業の運営が行われるようになりました。

国民皆保険の達成

 さらに、昭和33年12月には新国民健康保険法が公布され、昭和34年1月1日から施行されました。これにより市町村は、昭和36年4月1日までに国民健康保険事業を開始しなければならならないことになりました。
 厚生省や各都道府県等により、制度の未実施市町村への積極的な指導勧奨や普及活動が行われた結果、国民健康保険制度は全国に広がり、昭和36年4月1日に、国民皆保険が達成されました。
 東京都では、昭和34年12月に特別区が一斉に国民健康保険事業を開始し、昭和35年10月の東村山町(当時)の事業開始をもって都民皆保険を達成しました。全国の都道府県の中では19番目に皆保険を達成しています。(※)
 そして、現在、都内には84の保険者(区市町村62、国保組合22)があり、都民の3割以上を占める424万人余りの方(平成23年度時点)が加入しています。

(※) 小笠原村は、小笠原が日本に返還され、村が設置された昭和43年6月から、事業を開始しています。

お問い合わせ

このページの担当は 保健政策部 国民健康保険課 調整担当(03-5320-4164) です。

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国民健康保険制度の創設の経緯と現状

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